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[157] - 2013/01/15 (11:49)

“日常 ”と “祈り”を往還する場”/みんてら Vol.5 2013
みんてらVol.5 2013 P16

“日常 ”と “祈り”を往還する場”

震災慰霊広場「祈りの杜」プロジェクト
押尾章治


樋口師が副住職を務める西光寺の敷地に計画中の祈りのための場所について、
設計者の押尾章治氏(写真左)に語っていただいた。


「新たにつくるものは低いものにして下さい。人の背より高いものは棒一本でも怖い」
最初に聞かされたときはショックだった。高さ16mの津波により壊滅的な被害を受け、未だ強迫的な感覚に拘束される石巻市、門脇・ひばり野・南浜地区の地元の声だ。ちょうど、震災の年の紅白歌合戦でも放映された、津波と火災により廃墟になってしまった門脇小学校がある場所である。今回、その校庭に隣接する浄土宗西光寺の敷地に、東日本大震により亡くなられた方々の慰霊のため、残された家族や友人たちのこころを癒すための、慰霊広場を計画することになった。
親しい人を亡くされた喪失感を埋めるのは容易ではないだろう。
肉親を亡くしてもいないものが外から語れるはずもないだろう。
震災後 1 年半以上経った今でも、残された遺族の方たちは、
なぜ自分が生きて残ってしまったのかという自問の毎日であるとも伺う。
そんな中で何ができるのだろうか。
理解を超える出来事が起きたわけだから、理解など及ぶはずもない。
分かった風なことは言えない。
しかし、理解が及ばないままでも時間をかけて祈りを繰り返すことはできる。
繰り返し祈るしかない。
祈りの杜は、日常的な生活空間の中での、落ち着いて沈思できる場所なのである。
訪れた人が自らと向き合い祈るためには、外の世界からは囲われていた方が良い。
しかし地元には、前述したような高さに対する意識もある。
囲いは低く計画する。
ちょうど、胸の下ぐらいの高さの小さな囲いを重ね合わせて立てることで、
広場を周りの世界からやさしく区切るのである。
囲いの高さの中に腰を落とし暫し沈思し、亡き人への祈りが捧げられた後には、立ち上がって再び外の世界と繋がっていける。
低い囲いの中でも、高さ方向を上下する祈りの所作を通じて、囲われて自らと向き合あうことと、開かれて社会と繋がることが繰り返される。

みんてら5号ー





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